このところ、同じ世代(?)の価値観に共鳴することが富に多い。
少し前にもご紹介した、浅田次郎氏が書いている航空会社機内誌のコラム。今回はETCとカーナビを取り上げていた。
浅田氏はETCのシステムに物申しているわけではないのだが、そのユーザーの人たちを贔屓するようなサービスを国が行っていること自体が問題だと指摘していた。
今回、私が着目したのはカーナビのほう。
中島流でいうところの“便利の裏側”の話だ。
その昔、セリカのGTで走り回っていた私だったが、クルマにはカーナビもパワーウインドウもなかった。(世の中にはもちろん存在していたが)
カーナビの利用率が高まっている今からすると不便に思うかもしれないが、カーナビがなかったからこそ道を覚え、時には迷うことで土地勘を覚えるようになるのだ。
それだけでなく、実際にいろいろな場所を走ることによって、抜け道や近道などを発見し、自分なりの地図を頭の中に描くことができたのだ。
ところが、カーナビを利用するようになると、そればかりに頼るようになり、今まで覚えていた道もだんだんと忘れてしまうようになる。
そればかりでなく、目的地に意識が集約されるのでカーナビの画面にばかり気を取られ、周りの美しい景色も美しい人も目に入らなくなってしまう。
浅田氏は機内誌のコラムの中で、まさにそのことに危惧しているのだ。
カーナビに頼りきりになっていると、いつしかそれなしでは運転できなくなる。
私のいう“便利の裏側”とはまさに
そういうことなのだ。
便利なものに頼ることによって、人が潜在的に持っている能力を活かすことができなくなってしまうと
いうこと。
文明の機器に頼らないからこそ、生き物として人間として潜在的に持っている能力を活かせるのだ。
もっと潜在能力を活用し、周りの人たちの気持ちを考えられるようにならないと…。
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