私の新たな概念、“パラダイム登山論”誕生の
きっかけとなった本がある。
それがこの五木寛之氏の『下山の思想』だ。
先日、書店で目に入った「いま新しい下山に向けて」という帯のキャッチコピーも気になり、さ
っそく購入し読んでみたところ、全身にビビビッ! と電流が…。
五木氏いわく、登山は3つの要素から
成っているという。
まず「山に登ること」。
次に「山頂を極めること」。
そして「下山すること」だ。
言うまでもなく、登山と下山は表裏一体。
登ったら下りる、それが世の必然というもの。
「太陽も、朝日として昇り、夕日として西のかたに沈んでいく。
沈んでいくからまた…」という例も書かれている。
それらと同様に、時代も山頂を極めたら下山しなければならないのだ。
ここからは中島流の解釈だが…。
これまで経済優先型時代の山を登り、世界第2位の経済大国にまで到達した。
ところがいまや中国にも抜かれ経済大国でなくなっただけでなく、様々な社会問題を抱える日本になってしまった。
いや、日本だけではなく、世界の経済も危機を
迎えていると言っていいだろう。
世界がこの経済を指標とする社会を問題視するようになったのだ。
ここにあっては今いる山からすぐさま下山を始めなければならない。
しかし、それは今の日本からの「転落」ということでは決してない。
五木氏は、下山の過程では心に余裕が
生まれるという。
登山のときよりも落ち着いて周囲の風景や植物を
観察できるようになるというのだ。
時代のパラダイムシフトにおいても同様で、
登山中は無我夢中で山頂をめざしたが、
下りるときはこれまでの時代や現状を、
落ち着いてマクロ的な視点で見つめることができる。
次なる時代への向かい方について模索中だった私に、
この下山の思想はピッタリとはまったというわけ。
それにしても、このところ中島の心をつかむ
浅田次郎氏・60歳や五木寛之氏・80歳。
さすが色々な経験を通して行き着いたマクロ的な視点で世の中を俯瞰し、
それを私たちに発信してくれている。
私もいくらか歳をとったせいだろうか、
諸先輩たちの発信に私の音叉(オンサ)が共鳴する。
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