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はなまるア・ラ・カルト

10/26
2015

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梅岩の生家へ、開校の地へ

「勘平、遅いじゃないか」
「それが山でよいものを拾ったんじゃ」

そう言って勘平が取り出したのは、
先ほど拾ったばかりのいが栗。
渋皮を取って食べようと思ったのだ。

しかし、それを見た父は
「お前その栗どこから持ってきた?
 隣の山との境にあったんやろう。
 その栗は隣の山のものじゃろう。
 このままでは人の物をとったとされてしまう、返してきなさい!」
と言い放ったという。

これはビジ達でもおなじみの
石田梅岩にまつわるエピソードの一つだ。
梅岩といえば、「正直・倹約・勤勉」を柱とした「商人道」や、
人の道である世の中の道理を広めるための
「石門心学」として後世にも伝えられている。

幼少期の梅岩(勘平)は、
自分の家の持ち山と他の人の持ち山との境で栗を拾い、
それを父に見せたところ、冒頭のように叱責されたのだ。
もし他人の家のものならば、
たとえ落ちていても拾ってはならない、ということだ。
まさに、“正直”を重要視する
梅岩の生き方につながるエピソードだといえる。

こんな話をする理由は、
先日、石門心学・実践講座の視察ツアーで訪れた京都の亀岡市で、
石田梅岩の生家を訪ねた際、
山のふもとにいが栗が数個落ちていたためだ
(思わず梅岩が栗を拾うシーンを思い浮かべてしまった)。

ツアーでは、石田梅岩が塾を開講した地や
梅岩の墓などを訪れると共に、
ゆかりのある半兵衛麩さんを訪ね、
貴重な資料なども(「都鄙問答」の原本や
「先義後利」の掛け軸も見てきた!)、
見せてもらってきたのだ。

また、京都市内の講舎跡地では、
こんなエピソードを思い出した。
梅岩が45歳になったときのこと。
誰の後ろ盾もなく無料で塾を開講したとき、
3ヶ月してやっと一人の百姓が現れたという。

「こちらの講義は本当にタダで聴いてよろしいのでしょうか」
「その通り、席銭は一切頂かないことにしている」
「何故でしょうか」
「私が開講した理由は、金儲けのためではない。
 世の中には無学でも賢い人が多いが、
 惜しむらくは人の人たる道を誤っている人が多い。
 そんな人々に人の人たる道を授けたいためだ」

こうして3ヶ月目でやっと
1名の受講生を得た梅岩だったのだが、
その後無料にもかかわらず、
受講生からお礼の野菜などを貰うようになったという。
これぞ梅岩の「先義後利」を
体現しているエピソードといえるだろう。

このような様々なエピソードを思い出していると、
梅岩のように後世にまで語り継がれる存在であっても、
様々なプロセスを重ねたゆえの
結果であることを確信することができた。

また、梅岩の塾は江戸時代では珍しい
無料の塾であっただけでなく、
男女問わず受講生を受け入れたため、
多くの人から支持されるようになった。

そのため、江戸時代後期には
全国に180ヶ所に及ぶ校舎ができるほどに広がった。
このように、300年近く経った後も語り継がれる
梅岩の“石門心学”も
こんなプロローグを経て現在に至っているのだ。

これはビジネスでも同じことが言える。
何か大きな結果を成そうと
急に大きなことをしようとしても、
継続することは難しい。

だからこそ、
基本をこつこつ積み重ねていくことで、
それが結果となり、
多くの人に支持されるようになるのだろう。

そう、あの石田梅岩ですら幼少期から
正直かつ堅実さを持って物事に取り組んでいた。
だからこそ、現代でも多くの人から求められる
「石門心学」に至ることができたのだろう。

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石田梅岩ゆかりの地へ!

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開講した地も視察してきた

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様々なエピソードがよみがえってきた

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梅岩の生家にて

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